なぜ、私がこのサービスを始めたのか
電機機器製造会社で20年。システムを構築し、ソフトウェアを開発する日々を送ってきました。
長年勤めているからこそ、会社のために身を粉にして働き続けました。
新卒で入社し、定年まで勤めるつもりで人生設計をしていました。
「この会社に骨を埋めるつもりで全力で仕事に取り組む」と信じていました。しかし、会社の業績が悪化してしまいました。
そして、中途希望退職で、年老いた母が一人で暮らす実家へ。
ソフトウェア請負会社に契約社員として、転職。
ソフトウェア請負会社に仕事を依頼する立場から、ソフトウェア開発を請け負うという立場。
客先も官公庁から、民間。
自分で考えて作るから、設計書どおりに作る。
若い正社員から、仕事の支持を受ける。
45歳まで培ってきたものは、何も通用せず、何もかもが、違って、でも、自分なりには一生懸命与えられた仕事を続けました。
しかし、3年後——。 慣れない環境、オーバーワークで、精神的に限界が来ました。
「パソコンではなく、人と向き合いたい」 そう思い、結婚相談所へ転職。 でも、営業ノルマは達成できず。 自ら退職しました。
再就職を模索しましたが、既に48歳という年齢。未経験の仕事となると、私を必要としてくれる会社は、ありませんでした。
俺って、この社会から必要とされてないだ…
しかし、自分の中では、自分のポテンシャルは、こんなものではない。
求められないなら、「今度こそ、自分の力で!」
結婚相談所でお世話になった室長(後の妻)と、 飲食店を共同で起業しました。
最初は、希望に満ちていました。 でも——。
母の認知症が顕在化し、わんこを引き取るために引越など…、私生活もいつも何かに追われる日々
お互いのコンセプトが合わず、 思い描いた店からどんどんずれていく。
集客は、HP、Instagramの配信が主体。 常連のお客様はついたけれど、少数でした。 売上は、思うように立ちませんでした。
そんな中、妻が健康を害しました。
入退院を繰り返し、慢性腎不全に。夫婦間で腎臓移植をしました。
移植しても、副作用で高熱を繰り返し入退院が数ヶ月毎に繰り返される…
そして、母が怪我で入院から施設に入所、母が飼っていた猫が一人に…
毎日、朝夜と猫の世話に実家へ…。ついには、実家へ引越。
その後、母が他界。
移植した妻の腎臓も、移植から4年後——。機能が劣り。人工透析が始まりました。
そして、私自身も。左耳内耳聴神経腫瘍により、大きな手術を受け危機的な状況は回避できましたが、左耳の聴力を失いました。
数カ月、まともに動けない日々。妻の看護もある。
猫も他界し、3ヶ月後に愛犬も他界。
「もう、店を続けることはできない」
閉業を決断しました。
閉業後、考えました。
「この経験を、誰かの役に立てることはないか」
私が飲食店を続けられなかった理由。それは、「自分が動かないと、回らない仕組み」だったから。
もし、あの時——。
✓ 自分が入院しても、集客が止まらない仕組み
✓ 介護で時間が取れなくても、売上が立つ仕組み
✓ 体調が悪くても、お客様に価値を届け続ける仕組み
これがあったなら。店を閉めずに済んだかもしれない。妻にも、もっと楽をさせてあげられたかもしれない。
だから今、私は——。
かつての自分と同じように、病気、介護、体力の限界を抱えながら必死に事業を続ける方々、一人で頑張っている方に、「自分が動けなくても、価値を届け続ける仕組み」を提供したい。
そう思い、このサービスを始めました。


